自転車は馬のイメージから発明された!!(仮説)

 

競走馬と自転車選手のマッチレースの意識的根源にあるものとは。
僕の知人に競走馬の馬主の方がいる。先日そのブルミラコロという馬が優勝して、てっちり祝勝会に招待していただいた。僕にとって一生に何度かしか味わえない高級食材を与えてくれた優勝者にぜひお礼を述べたかったけど、残念ながらミラコロちゃんは会場の割烹居酒屋には現れなかった。なんでもフグより人参がお好きらしい。
んで、しょうがなく競馬中継のビデオでその勇姿を拝見したけれど、てっちりの美味さも相まってか「なんだか馬って自転車に似てるんじゃないの?」と思った。まずジョッキーのフォームは背中を水平にしたエアロダイナミクスで、自転車選手そのものだ。競走馬自体のスピードも1400mで平均時速60キロほどだから自転車のトラックレースに極めて近い。
ちなみに、馬と自転車は速度域が近いので、ヨーロッパでは昔から「自転車選手と競走馬の対決」というのがあって、冬になると興行的ショーとして世界チャンピオンクラスの自転車選手と競走馬のマッチレースがテレビ中継されるのだ。まあ、ほとんどは馬の勝ちに終わるけど、3度の自転車世界チャンプに輝くO・フレイレは人類代表として、なんと馬に勝ったことがある。まあ。多少のハンディはあるようだけど。それでもフレイレすごい! 今度てっちり奢ったろか。

 

カンチェラーラは2馬力で、馬は15馬力!
自転車と速度域が近いとはいえ、競走馬というのは人間による人工交配で特別な能力を身につけた「完全な走るマシーン」なので、馬単体の運動能力はとてつもなく高い。だからこそ、それに勝つ自転車選手って凄すぎじゃないの?なんて思う。
データから見ると競走馬の安静時心拍数は一分間に最低で25回。赤血球の数は人間の2倍。最大酸素摂取量は体重あたり毎分170mlと一流自転車選手(80ml)の約2倍。心臓の大きさも体重比で人間の約2倍だという化け物だ。
ちなみにカンチェラーラが記録した瞬間最大出力は1450Wというから約2馬力だけど、それに対して馬の瞬間最大出力は約15馬力にも達するらしいから、いずれにしても生物としての体組成の基本が違うのだ。馬は完璧なアスリートなのだ。もし、競走馬を自転車に乗せれば凄いことになるかもしれん。推測で1km48秒。4km個人追い抜き3分12秒。アワーレコード75kmなんて記録達成が可能だ! まあそれは、馬が乗れるほど強靭な自転車があって、自転車に乗れる器用な馬がいて、それこそ「馬が合えば」の話だけど・・・。

 

「サドル」も「ヘッド」も馬が由来なのだ。
さて、馬と自転車の共通点に話を戻そう。これがイロイロ考察していくと面白い。自転車の「サドル」という言葉はそもそも馬具の「」のことだ。さらに、鞍にぶら下がっている乗馬用の足掛けは「」というのだけど、これは英語で「ストラップ」と言う。現代のビンディングペダルが普及する前の1980年代までのスポーツサイクルは、正に「ストラップ」と呼ばれるベルトで足をペダルに縛り付けて走っていた。また、自転車の「ヘッド」という部分名称も手綱(ハンドル)に直結する馬の頭部から由来している。まだまだある。木馬には車輪がつき物だ。そして、道交法では馬は自転車と同じく「軽車両」だ。考えれば考えるほど自転車と馬は共通点が多い。そして、それは決して単なる偶然ではない。加えて言うなら、そもそも自転車というのは馬をモデルとして具現化された人力走行システムなのだ。自転車発明の父であるカール・フォン・ドライス、さらにそれに影響を及ぼした人類の共通意識の根本には、生活の足として戦争の装備として、さらに人類文明に大きく影響を与えた「馬みたいなもの」が最強機材のイメージであり、それに跨り自力で走行する乗り物として昇華したのが自転車に違いない。
そんなわけで、もし馬がいなかったら、自転車は今とはまったく違った異形なものとして進化したかもしれなかったのだ。たとえば、馬が存在しない世界だとして、発明家ドライスがボンボンベッドで休憩しているところを後方から不良の友人にドロップキックされてブッ飛んだ時にアイデアが湧き出ていたら、自転車は仰向けで走るリカンベントみたいな物が主流になったかもしれん。またあるいは、動物園で猿の親子を眺めている時に自転車発明のアイデアが降臨したなら、あろうことかウンテイみたいな遊具に逆さにぶら下がりながら前進する奇妙な乗り物が自転車となっていたかもしれぬ。乗車中の死因第一位が脳卒中だったりして。ああ。お馬さんがいて良かった。尊厳の意を込めて馬刺しは我慢しながら次は有馬記念を狙うか!(20016年12月23日現在)