自転車レース界における「革命」とは?!

 

ディスクホイールを使うと1kmあたり2~3秒速くなる。
今回は自転車レースにおける「革命的なこと」を考えてみた。「革命」と聞くと、キューバ革命でチェ・ゲバラが戦ったとか、明治維新でチョンマゲの風習がなくなったとか、そんな世界の変遷を感じるだろう。もちろん自転車界でも昔から幾多の機材革命やらレース戦術革命があって、その上で僕たちは現代の自転車遊びの奥深さをまるで民主主義の繁栄のように感じているのだ。え。そこまでやないか?
僕がレースをはじめた40年前からするとレース機材は数度の革命を経て、チョンマゲ頭が金髪モヒカンになるぐらいの変貌をとげたと思う。まあ代表的なのは「DHバー」と「ディスクホイール」と「デュアルコントロールレバー」かなあ。この三つに共通するのは、レーススピードを根本的にアップさせたこと。そして「使わないと勝てない」事実だろう。
「DHバー」はトライアスロンがルーツなのはよく知られているが、1989年のツールでG・レモンが劇的な逆転優勝をして世に広まったTT機材である。それまでは「アメリカ人が使うヘンテコリンな物」と言われてたのに。
一方「ディスクホイール」は、飛行機の翼を支える補強ストリングが無くなって飛行速度が増したことをヒントに1984年F・モゼールのアワーレコード達成で世界初披露となった革命的機材だ。
ちなみに「デュアルコントロールレバー」は、1980年代にアメリカでおこなわれていたロードレーサーによる0-200mスタンディングスタートレースで使われていたブレーキレバーを改造した手元変速が大きなヒントとなったらしい。

 

革命的な機材は「子供のオモチャ」だった。
自転車の長い歴史を紐解けば、一番に革命的な出来事は1900年代はじめの「変速機」の発明に違いない。しかし、驚くべきことは当時の人々にとって「変速機などというものは女や子供や身体の弱い者が使うオモチャである」とされていたことだ。僕らが若い時代にも似たような風潮はあって、リアスプロケットのローは21Tぐらいまでが「男ギア」と呼ばれ、23T以上だと「おかまギア」と蔑まれたものだ。まあ、それでも「より速く走るためには必要なのだ」との本質を見極め、変速機や大きなローギアを一般レースに使用しはじめたのは、ある意味精神的「革命」といえるのかも。ちなみに1964年の東京オリンピックのロードレースでも「変速機の使用は潔くないので禁止しよう」という意見が日本の連盟内で出されたというが、新たな思想と文化を取り入れ、結果的に変速機使用のレース運営をしたことは、まさに日本自転車界の「革命」だったのかもしれない。
もし、そんな「革命」なかったら、今ごろ変速機は介護用品としてあつかわれ、僕たちサイクリストはシングルの重いギヤで脱糞しかけながら坂を登らねばならなかったのだ。
考えてみればSISに代表される「位置決め変速機構」や「ディスクブレーキ」や「楕円ギヤ」だって、かつてはジュニアスポーツと呼ばれた子供用サイクリング車に搭載された、言わば「子供のオモチャ」だった。それが今では立派な「大人のオモチャ」なのだから!?

 

レース戦術の「革命」をおこした日本の侍たち。
自転車レース界での革命は機材だけに留まらない。現在ツールやその他のプロレースで常識的に行なわれている「アシスト制」は変速機と同じく黎明期から存在していたわけではない。仲間のために先頭を引く行為は古くから存在したけれど、現代のようなエースとアシストの役割分担を明確にしてアシスト制を確立したのは、かのエディー・メルクスだといわれている。それはまさしくレース戦術の革命である。
僕が現役バリバリで走っていた25年前の日本では、実業団のトップクラスでも、まだまだエース一人を勝たせるための緻密なアシスト制はなくて「仲間が逃げていたら潰しに行かない」とか「たまたま調子が良くて勝てそうな位置にいる仲間を引いてあげる」とか、まあその程度だった。時を同じくして、ヨーロッパで修行と活躍を繰り返した諸先輩である、市川雅敏氏や三浦恭資氏、そして現在NIPPO-ヴィニファンティーニの監督でもある大門宏氏など(他にも何人かおられます)の帰国により、ヨーロッパでの徹底したアシスト制が伝えられ、今の日本のプロたちは世界と変わらぬシステマチックなレース運びが出来るにいたったのである。それは日本自転車レース界にとって革命的な出来事だ。
そんなわけで「革命」というのは、社会体制であれ自転車であれ、古い慣習による根拠のない権威を打ち壊し、正しい本質を得ることにつきるのだ。まあ要するに「大人のオモチャ」には正しい本質がある!というわけですわ。