「記憶に残る選手」って、どうして記憶に残るの?


―海馬の機能と記憶のシステムから考える自転車レース―

無謀なアタックで敗れても「記憶に残る選手」になるわけ。
ニーバリやコンタドールみたいにビッグレースをボコボコ制覇してるスーパー選手ではなくて、「記憶に残る選手」というのが僕は好きだ。ブエルタ見てたら、アダム・ハンセンなんて自作のカーボンシューズを駆使してグランツール10回連続完走なんてメチャ印象深い。先日引退したフォイクトもビッグな勝利はあげていないけど強烈なアタックと逃げのイメージが記憶に深く焼きついている。僕の好きなホアキン・ロドリゲスも無謀ともいえるアタックで観衆を沸かした後、「負けると分っていてもアタックしなきゃいけない時もあるんだ」なんてコメントが真田幸村みたいで心に染みる。ランス・アームストロングだってツールの戦歴はゼロにされてしまったけど、絶対「記憶に残る選手」に違いない。
さて。考えてみるとこの「記憶に残る選手」というのは一体どうして「記憶」に残るのか?調べてみると、それは人間の脳にある「海馬」という器官の機能と深く結びついているらしい。

 

猛獣に襲われた恐怖を忘れないのは生き残るため。
「海馬」というのは、文字どおりタツノオトシゴみたいな形をした器官で、人間が認知した記憶はまずはすべてここに集められる。その中で「短期記憶」と呼ばれる重要度の低い記憶は海馬の中に短期間保存された後すぐに消去される。逆に「長期記憶」と呼ばれる大事な記憶は、大脳皮質のハードディスクへ運ばれ半永久的に保存されるそうな。
つまり「記憶に残る選手」とは「長期記憶」に保存された重要度の高い記憶に他ならない。ではどうして短期や長期にわかれるのか? そして重要度とはどうやって決めるのか?
キーワードは、喜びとか悲しみとか怒りとか恐怖とか。つまり「情動」である。なんでも記憶が海馬を通過する時、同時に感情的な高鳴りが生じた場合のみ重要度が高いと判断されて「長期記憶」に保存されるらしい。
たとえば僕らが原始人だった時、狩りに出てサーベルタイガーに襲われて殺されそうになって「恐怖」という情動を感じたとする。すると「怖かった!この場所は猛獣に襲われるので以後近づいてはいかん! 絶対忘れない!」という意味から場所や状況が長期記憶に深くインプットされるというわけだ。
そんなわけで、ホアキンの超絶なアタックを見て、「かっちょええ~(涙)。僕も次に生まれ変わる時にはホアキンになるで~」と脱糞しかけの「感動」という情動により、その記憶は長期記憶にインプットされ、彼は「記憶に残る選手」になるわけだ。
アームストロングが嫌いな御仁が、「あのガキ汚ったないドーピングさらしくさってシバイたろかい」と「怒り」の情動に包まれると、マイナスの意味でランスはその人にとって「記憶に残る選手」となるのだ。

 

「海馬」は過去と未来を結びつける時間軸機能の器官だ。
長期記憶にインプットするための情動には「痛み」も有効だそうで、その昔、伊賀の忍者は絶対に忘れてはならない暗号を憶える時には自らの肉体を小刀で傷つけながら暗記したという。でもこれって実は脳科学的にメチャ論理的な行動でもある。
僕もその昔、タイを放浪していた時、街のオカマをからかっていたら「あたしを買う気も無いくせにバカにしないで!」と怒り出して、ホッペタを思い切りツネられたんだけど、それが手加減無しの渾身パワー。眼球がロンパリになるほど痛かった。あのオカマの顔が僕の長期記憶ハードディスクに深く保存されているのは言うまでもない。美人だけど目が離れていたなあ。
ところで興味深いのは、海馬が事故とかでなんらかの損傷を受けた場合、もちろん記憶能力が著しく低下してしまうのだけど、不思議なことに未来に関する予測や計画能力も同時に失ってしまうという。つまり海馬は「過去」の記憶だけでなく「未来」をも司る、宇宙の時間軸を機能としてその内部に貫通させている凄い器官なのだ。
そう考えると、順位表で単純にトップに名を連ねる選手より、勝敗にこだわらない果敢な走りで人々に強い印象を植え付けた「記憶に残る選手」の方が、海馬を軸とする予測のベクトル躍動による未来創作が強いはず。つまり「記憶に残る走り」こそ自転車レース界と人類の未来の発展のために役立つということだ! そんなわけで、タイのオカマの強烈なホッペタつねりが今の僕の糧になっていると思うんだけど・・・。ホンマかいな!?