自転車競技には格闘技みたいな階級別がどうしてないの?

 

自転車にも階級別があったら「短足級」でチャンピオンになれたかも
先日、ボクシングが趣味の方と酒を飲んで談笑した。ボクシングと自転車って同じスポーツでもぜんぜん違うなあ、って思った。ボクシングの試合は一対一だから、勝つ確率は50%。一方で自転車は100人スタートのロードレースなら勝つ確率は僅か1%! おまけにボクシングには体重別の階級性というのもがあって、プロではミニマム級からヘビー級までの17階級。アマチュアではモスキート級からヘビー級までの12階級が存在する。そう考えるとチャンピオンになれる確率は超絶にボクシングの方が高いよなあ。
だいたいほとんどの格闘技には体重別の階級があるのに、自転車ってそんなの無いのが不思議でもある。ヒルクライムなんか体重が軽い方が絶対有利なんだから、体重別の階級レースが普通にあってもおかしくないやろ。(ちなみに国内で唯一、福島県のあだたら高原ヒルクライムは体重別レースだそうです)
パリ-ルーベでも歴代優勝者の平均体重は80kg近いので、軽量選手は不利なのだ。そんなこと考えると、パリ-ルーベが体重別階級性レースであってもエエんじゃないの!
体重だけじゃない。自転車選手にとって脚の長さというのは重要な要素で、長いクランクをぶん回せるのは絶対有利だろうし、長い骨格はバイオメカニクス的に高いトルクを発生させることができる。そう考えると、短足の僕なんかのために「ダックスフント級」なんて階級が自転車競技に存在したなら、今ごろ凄い選手として崇拝されていたかもしれないのになあ。
ちなみに男性性器の大きい選手は妙な自信にあふれて強い選手が多いので、そのあたりのフェアさを考えて「ハムスター級」から「種馬級」までイチモツの大きさによるクラス分けをするのも良いだろう。「上阪選手、ダックスフント級とハムスター級の二階級制覇です!」って・・・ぜんぜん嬉しくないかも。

 

年齢別と体重別階級が多すぎるのもどうかなあ?
なんだか格闘技って多くのチャンピオンが生み出される構図になっていて羨ましいなあとも思ったけど、あることを調べてみたらちょっと微妙な気分にもなった。
全日本マスターズ・レスリング選手権というのがある。マスターズだから35歳以上から5歳刻みに66歳以上の部まで8クラス。それに加えて各クラスで体重別の階級が6階級。さらに女子の部なども加えると、なんと全部で63クラスが存在する。つまり一つの大会で63人の全日本チャンピオンが誕生するのだ! まあそれはそれで良いではないか。と思ったけれど、2013大会リザルトをよく見たら、16のクラスで優勝者のみだけが記載されていて、2位以下のお名前が見当たらない。つまるところ、そのクラスではエントリー数が一人だったということだ。申し込んだ時点で全日本チャンピオンが確定ということなのだ!
うーん。それってどない? 馴染みの居酒屋で一杯ひっかけてるお父さん。まわりのお客がボソボソと噂をする。「ほらほら。あの人、マスターズのレスリング日本チャンピオンらしいよ」と。で、酔っ払いの一人が話し掛ける。「ねえねえ。おたく。レスリングの日本チャンピオンって聞きましたよ。凄いでんなあ」でも当のチャンピオンにしてみたら、けっこうツライかも。「エントリー。実はわたし一人だったの。とほほほ」なんて言いにくいよなあ。

 

大相撲と自転車に見られる階級なし競技の崇高さとは?
格闘技にこれほどの細かい階級が存在する理由は、ギャンブルの対象として競技が成熟していったことがあげられる。そら金が賭ってるから微妙な体重差も必死のパッチで真剣に区切るよなあ。
ところで、唯一大相撲だけはプロの格闘技として体重別階級が存在しない。これは大相撲がそもそも「神に捧げるべき祭式」であるという、ギャンブルとはまったく違ったマインドを秘めているからなのだ。そう考えるとどうだろう。自転車ロードレースだって、チビもガリもデブもすべて同じ土俵で戦いあうわけだから、それはある意味、現世における人間の生まれの不平等さを現実として捉え、神の前では厳粛で無防備な人間本来を認める精神性がそこに存在するのではないのか。スプリンターは山岳ではヘタレやし、クライマーはゴール勝負で蚊帳の外。短足は短足なりに頑張ったら、「それはそれでエエんじゃねえの」という哲学が自転車レースの魅力として確かにある。ハムスター級のアナタも神に抱擁される崇高さの中で走っているのだ、と考えればますます自転車が楽しめるか~。