初体験!パックツアー旅行から見たエジプト〈44〉

  エジプトに行った。自由気ままなバックパッカーとしてではない。83歳の母親を連れてパックツアー旅行へ参加した。
  ピラミッドやアブシンベル神殿の荘厳さに胸を打たれたことは言うまでもないし、クミンやオリーブの香りがたっぷりのエジプト料理はエキゾチックな味覚を刺激してくれた。
  エジプト人の姿かたちは地中海人やアラブ人を中心に黒人、そしてモンゴル系をホウフツさせる東洋系の顔立ちも見受けられ、それが坩堝<るつぼ>(完全に混じって人種の原型がわかりにくいほどの混血)とサラダボール(つまり人種の素性と起源がわかる少しの混血)の両方として存在している。
  そんな人々が信仰するのはイスラム教という僕らにとってまったく異質な宗教である。一日に五回のお祈り。年に一回の断食。アルコールは飲まない。貧しい人に施しすることの正当性。などなど僕らとは違う人なりを観察するのもまた旅の醍醐味だった。
  しかし今回のこの旅行において一番興味をそそられ、そして印象的だったのが「パックツアー旅行」という僕にとっては異次元の旅行形態だ。
  実は僕、世界のいろんなところを旅してまわったのだけれどツアー旅行ってこれが初めての経験だった。そしてそれは稀有な驚きの連続でもあった。

  まず驚いたのがそのスケジュールの過密さである。

  ある一日を例にあげると、アスワンからカイロまで寝台列車に乗せられ朝4時に起こされる。パンとコーヒーの朝食の後、カイロにあるギザの駅についたのが5時。しばし休憩し、屈折ピラミッド→赤のピラミッド→メンフィス博物館→階段ピラミッド→絨毯屋→昼食→ギザの三大ピラミッド→スフィンクス→宝石店→一旦ホテルにチェックイン→ナイル川ディナークルーズ。すべての終了22時。
  寝台列車で仮眠した後、夜の10時まで瞬きする間もないぐらい「市中引き回し」の刑に処され、35時間以上シャワーを浴びることも許されず、パンツもチンコもくっさいくっさいままでの連行だ。呆然の極地。
  最終のディナークルーズではベリーダンスのネーチャンを見る元気もなくテーブルで寝ている人が多数。
  もちろんこんなに過密なスケジュールだから、各観光地での自由時間も少なくて、ピラミッドも「写真を取ったら次に急がねば」てな具合。ゆっくり眺めて悦にひたる暇もない。
  食事もそうだ。「ああ。忙し。メシぐらいゆっくり食わせてや」なんて願いは通じない。味わいながら食べていると「さあ。出発の時間ですよ~!」と呼ばれて美味しさも吹っ飛ぶ。そして焦る。トイレに行く暇だってないぐらい。そうなると移動中のバスの中でウンコやオシッコの苦悩に悩まされること多々である。
  まだある。エジプトはイスラム教の国ということもあり、アルコールを飲めるところがとても少ない。ホテルではビールやワインが味わえたけど、昼食のレストランではビールも飲めないところがツアースケジュールに組み込まれているのだ。不幸なのはアスワン-カイロ間の寝台列車ではアルコールの販売が行なわれておらず、数年ぶりの休肝日となったこと。さらに驚くべきことは、ディナークルーズの船内でもアルコールが販売されていないのだ!

  酒なしでディナークルーズ?! アホちゃうん。

  日本人相手の観光旅行ならそれぐらいマジメに考えろや! アルコール有りのディナークルーズもあるはずやろ!
  緻密な集合時間の物凄いストレスにさいなまれ、早食いで食事をかき込んで、ウンコやオシッコを我慢し、写真だけはピリピリと取らされ、根性で目的地を目指すが、その後に待ち受けているのが「ビールのおあずけ」である。金を払ってなぜにこれほど苦しい思いをせねばならぬのか。

  「このツアーは狂っている」

  僕らぐらいの年齢なら体力的にたいした事はないけれど、83歳の母親は足も悪く、ガレ場の上り下りで遺跡に向かう道はたまらない。
  しかし他の人に尋ねると、このツアーのスケジュールは決して異常ではなく、ごく普通だという。「もっと強行なツアーもたくさんありますよ」とのこと。でも母親はしんどうそう。

  「はああ。えらいとこに迷い込んでもおたあ~。ツアーなど来るのやなかった」

  と深く深く後悔し、意気消沈でサハラの広がりを眺めていた。そこへ、僕が元バックパッカーであることを知った添乗員さんはこう言った。

  「個人旅行よりツアーの方がキツいんですよ」

  この言葉には「あんたはバックパッカーでいろいろ苦労をしたつもりかもしれないけど、まだまだやで。ツアー旅行の方がしんどいことも知らんとは海外放浪したわりには甘ちゃんやなぁ」というニュアンスが聞いて取れた。誤解がないように言うとこの添乗員さんはとてもいい人やったです。
  僕は「そうやね」と言ったけれど、バックパッカー個人旅行は苦労する為に行くもんではなくて、あくまでも自分がリラックスして楽しむためのもんやねんでぇ。こんなツアーとは目的が違うんや。でも、疲れて言い返す元気もなかった。
  それでも彼女が言いたい事はわかった。この添乗員さんは「キツい」ということを良い事ととらえる。彼女の口から常に飛び出す言葉が「頑張って」である。
  「明日はバスで長時間の移動の後、夜のピラミッド光と音のショーがありますので、長い時間ですが頑張ってください」とか。
  なるほど。なんかわかってきた。

  つまりパックツアー旅行はのんびりリラックスする為のものではなく、たくさんの観光地を短い時間でどれだけ制覇できるか。そしてウンコもまともに出来ない苦しくつらい日々を耐え忍んだ充実感を味わうコンペティション的な行事なのだ!

  たとえばマラソン大会や自転車のロードレースだって、興味がない人から見たら「なんで金払ってしんどい思いしなアカンの。おかしいんちゃうん?」てな感じだろう。
  そんなわけで僕は悟った。

  これは長い人生における中での避けて通れない「修行」としての局面なのだ!!

  そう思うとすべてが崇高に輝きはじめた。

  ふと我に帰ると、まわりには同じツアーに参加する方々の優しい笑顔があった。高齢の母親に対し、そしてそれに帯同する僕に対し、オバチャンや添乗員さんが

  「歩くのが少しぐらい遅くたって気にしないで。みんな待ってるから頑張ってね。お母さん偉いわああ」

  そう言って、励ましてくれるのだ。   クフ王のピラミッドの玄室までの険しい急坂通路を登った。汗にまみれた母親の玄室到達を確認したツアーの皆さんから暖かい拍手が立ち込めた時、僕は正直少し感動した。ツアー旅行ならではの人々のつながりがそこにあった。
  そう考えればツアー旅行の良い面は他にもたくさんある。
  ガイドさんからたくさんのエジプトの知識をいただいた。エジプト人の平均寿命とか、アラビア語の独特な発音の仕方とか。ナイル川の東は「生きている人の町」でナイル川の西は「死者の町」だとか。あと、単純に考えて個人旅行の一週間でこんなにたくさんの遺跡を見れただろうか? などなど。
  個人旅行でボーっと過ごしてナカナカ知りえることはどのようだ?
  そんなわけでカイロ空港から関空行きの飛行機に乗り込んだ僕は感慨無量の充実感に包まれていた。
  達成した。

  まるで自転車競技のある種のビッグレースを走りぬいたような感動と似たものであった。それは僕の旅の新たなる刺激の一種類だった。
  「毛色の変わった国」と「毛色の変わった旅行形態」
  この世の価値観は広い。いやいや「パックツアー旅行」あなどれん。
  まだまだ勉強することがあります。

  PS   これを書いている2011年2月5日現在エジプトは反政府支持の民衆が大きなデモをおこし多数の怪我人や数十名の死者まで出て、30年続いたムバラク政権は崩壊寸前である。
  僕はこのデモが発生した1月26日の前日夜中にカイロからの帰国便に乗ったため、デモの影響はまったく受けなかった。日本についてから報道を見て「こりゃ間一髪やんけ!」と驚いただけ。死傷したエジプト人や足止め食った日本人に対して憂いの気持ちを感じております。エジプト人と接した後なので情勢に敏感なのです。