イスラム教の国での安堵感<マレーシア>〈15〉

  いろんな国を旅してみて感じたのは、「居心地のいい国」と「そうでない国」とがあるということだった。どうしてそんな違いがあるのかしみじみと考えてみたら、どうやらその国の宗教に関係がありそうだと思った。
  居心地のいい国というのは、タイやネパール、そしてスリランカなどの仏教国である。人々の親切心に下心やいやみさがなく、心のそこから落ち着ける瞬間がたびたび訪れるようだった。
  逆にヒンズー教のインドやイスラム教のマレーシアやインドネシアは、どうも人々の考えていることが理解できないばかりか、ボッタクリや下心丸見えのつきまといに遭遇して、激怒や失望が心を暗くすることが多かった。
  しかし、そんなイスラム教の国でも妙な安堵感にとらわれることはあって、これはそんな不思議な旅の途中の一枚の写真である。


  僕は、ニアス島でサーフィン三昧をした後、おじいちゃんの法事の呼び出しに答え帰国するため、インドネシアからバンコクを目指してマレー半島を急速北上していた。
  シンガポールから乗ったマレー半島縦断列車はマレーシアの北端バターワースで終点となり、時間を見ると夜の12時を過ぎていた。
  真夜中のバターワース駅前に佇んだ僕は「さてさて今から泊まるところを探さなくっちゃ」と溜息をつきながら辺りを見回したけれど、その駅前には何にもなくって、タクシーの運転手に聞けばダウンタウンはここから少し距離もあるとのこと。僕はタクシーの運転手に「今からどこか泊まれるところはあるかなあ」と聞いてみた。


  「あるよ。連れて行ってやるよ」
  「ほんと。ところで、そのホテル一泊いくら?」
  「50ドル」


  「ごごごっごじゅうどる?! めちゃ高いやんか!」
  ああ。なんちゅうイスラム教徒のおっさんや。夜中に泊まるとこ探すの大変やと思ってボッタクろうとしとる。


  僕はおっさんの思う壺にはまるのが嫌だったので、意地でもタクシーを使わずに泊まるところを見つけてやろうと思った。
  そんなわけでダウンタウンと思しき方角へ向けバックパックを背にテクテクと真夜中のマレーシアの街を歩きはじめたのだった。ところが、いくら歩いてもダウンタウンは現れず、あたりは畑や田んぼが広がる田舎チックな風景に変わっていった。どうやらまったく違う方向に歩いてしまっていたらしい。


  イスラム教徒の国で真夜中に泊まるところも見つからず、一体僕はどうなってしまうんだろう。


  ビビンチョな不安が心をよぎる。こうなりゃ始発がでるまで野宿でもするしかないか。そう思ったときである。前方に団地が見えた。あそこに行けば野宿するところぐらいあるかもしれない。睡魔に襲われる脳ミソにムチを入れ、僕はフラフラとその団地に吸い込まれていった。
  マレーシアとはいえ、その団地の内部は日本のそれとあまり変わりはなくて、野宿ができそうなところといえば階段の踊り場ぐらい。それでも夢遊病者のように敷地内をさまようと集会所のような平屋の建物が見つかった。ガタガタのアルミサッシはカギもかかっていなくてゴロゴロと開いた。内部を見ると汚れたカーペットが敷き詰められていて、どうやら仮眠ぐらいは出来そうである。


  ついに見つけた。ここで寝れるで。


  そんなわけで僕はその夜無事に屋根の下で仮眠する場所を見つけ、ふうと胸をなでおろしたのだった。やたらと蚊が多くて(後から思うとこの時マラリアにかかったのかもしれない)うつらうつらしたけれど、どうにか眠りに入り込んでいた。
  ところが、朝の光が差し込む頃になって、まわりで妙な人の気配がするのを感じた。ムニャムニャとなりながら目を開けびっくりした。


  ヨダレをたらして眠り込んでいる僕のすぐ横では大勢のイスラム教の人々がひざまずいてアラーの神に祈りを捧げている真っ最中ではないか! ここはモスクだったのだ!


  僕はメチャメチャ固まった。なぜなら厳格で狂信的で何を考えているかわからないイスラム教徒にとって大切であろう祈りの場で異教徒の汚い男がヨダレを垂らして寝っ転がっているのである。これはひょっとしてゆゆしき事態ではないのか。この祈りが終わった瞬間にアラーの神を侮辱した罪を持って、僕は生贄として葬り去られるのではないのか。よよよよよよよ。
  僕はしばらく寝たふりをして状況をうかがっていたのだけれど、どうやらイスラムの方々は僕には何の興味もないらしく。お祈りが終わると、ほとんどの人は僕を無視して帰っていった。一人だけあごひげを生やしたにいちゃんが、ニッコリ微笑みながら、おめえバカだなこんなとこで寝て、みたいな顔をして僕を見つめたのが印象的だった。
  それまで別の次元で別の精神構造をしていると思っていたイスラム教の人がとても身近に思えた瞬間でもあった。やっぱり彼らも人間なんだ。深い安堵感をともなって、僕はそのまま二度寝に突入した。