「精子のレース」から考える、「自転車」そして「人生」のこと。

 

アナタも私もビッグレースで優勝したことがあるはず?!
たとえ小さなレースでも、一位になることは簡単じゃない。長い時間を自転車レースに捧げて、今だに一勝もできない選手なんてゴロゴロいる。そんな奴に「もうヤメたら」なんて言うのは簡単だけど、その前にちょっと考えてほしいことがある。
例えば、お父さんとお母さんがセックスしたとする。二人ともアヘアヘのヘロヘロになって、最後にはお父さんの数億匹の精子がお母さんの卵子に向かってドヒャ~と発射される。さあ、そこで激しい精子のレースが繰り広げられた末、一位になったのがアナタであり僕だということを思い出してほしい。これがもし最後に差されて二着になってたら、今の自分はこの世に存在せず、顔かたちは似ているけれど別の人間になっていたということだ。要するに、自転車で走るのが遅くても、ビンディングペダルを外しそこねて落車しても、この世界に人間として生まれてきた以上、アナタは数億エントリーのビッグレースに優勝した経験を持つ物凄いレーサーに違いないのだ!

 

「精子のレース」にもエースとアシストがいるのだ!
そんなわけで、レースで勝てなくったって、悲観せずに自分の存在に自信を持って生きてけばよいなあと思うのだけど、一方で考えてみれば「精子のレース」って自転車レースに似てるなあって感じた。
なにやら精子には、男になるべきY染色体と女になるべきX染色体の個体がそれぞれあるらしい。最近の研究で分ったのは、Y精子は動きが速いが寿命が短く、X精子はその逆だということ。つまり精子によってレーススタイルの違いがあることが確認されているのだ。
アメリカの生物学者ロビン・ベイカーの著書「精子戦争」によると、精子にはXY以外にもいろんな種類があって、受精だけを目指すエース級と、乱交により侵入した他人の精子群(類人猿時代の名残かな)を殺すアシストタイプなどに分かれているという。つまり「精子のチームプレー」の存在が確認されているのだ!
そう考えると、牽引役の精子も存在するかもしれないし、エース級の精子の中にもスプリンタータイプやルーラータイプなどがいるのかもしれんなあ。
ところで、精子だったころのレーススタイルって、人間になってからのレーススタイルや人生スタイルにも大きく影響しているんじゃない? きっと、カンチェラーラはブッチギリの独走で受精したY精子だったろうな。うーん。僕は? つきいちで最後チョン差しで受精してたりして。セコイ性格の謎が解けるようだわ。

 

アシスト精子の働きに合掌しながら人生を謳歌しよう
通常男性が一回のセックスで放出する精子の数は1億~4億匹だという。これが極端に少ないと精子は卵子までたどり着けず、受精は起こらない。だから排卵日バッチリにセックスしても必ず妊娠するわけじゃない。
味わってわかるとおり、女性の膣内は強い酸性である。僕たちはヒイヒイと苦しそうな顔をしながらでも長い時間そこに留まっていたいと思うけど、精子は長時間膣内に留まると、酸にやられて死んでしまう。受精するには一刻も早く卵子までたどり着く必要があるのだ。つまり、選手の数が少なければ当然レースのペースも遅くなるので、精子の数が多いことが受精の為の強力条件なのだろう。
ところで、先ほど引退した福島晋一は、約四年で四人の子供をつくったので一回の射精量は85億匹ぐらいあったに違いない。そんなエネルギーの濃さをこれからの選手育成に役立てて欲しいもんだなあ。
まあ。そんなこんなを踏まえて深く重く感じるのは、エースの精子が膣内の強い酸に殺されず、無事に卵子までたどり着いて受精して、一人の人間として生まれ出でれたのは、けっして自分ひとりの力ではないということだ。
僕になるはずの精子をアシストしてくれた他の精子の存在消滅があったからこそ、僕は今ここにいる! 消えた数億の同朋の分まで頑張って生きよう!なんて考えたら、人生の価値も倍増するかなあ。