ネパール アンナプルナ。神の懐トレッキング記〈4〉

  ネパールって不思議なところだと思う。
  そこでは、いわゆるモンゴロイド(黄色人種)であるチベット系の人たちと、コーカソイド(白色人種)の末裔と言われるインド系の人たちが、雪をいただくヒマラヤの高所からインド平原の北端までに、渾然と入り乱れて暮らしている。
  その情景は、なんだかとっても異質な世界だ。


  例えばスターウォーズで、見るからに人間みたいな形をした奴と、チューバッカのような獣みたいな奴が、同じ酒場で肩を並べて酒を飲んでいるような。


  そんな印象は、パタンのダルバール広場に、石造りでアンコールワット風フォルムのヒンズー寺院と、木造瓦屋根のチベット寺院が並んで信仰の対象になっている事と無関係ではなさそうだとも思う。けれど、実際のネパールの民族人種構成というのはそんなに簡単なものでもない。旅をしていると、明らかに混血と思しき人々と袖すり合わせる機会が少なくはない。
  ネパールの混血の人たちは南米系のようにも見えるし、国籍不明のようにも見える。でもそれは、汎世界的と言うべきなのだろう。彼らは、適応能力の大きさをその瞳に輝かせ、多様化と進化が人間の未来を切り開いていく事を示唆しているかのように見えるのだから。
  僕はかつて、そんな地球の運命をあぶり出すようなネパールの香りにすっかり魅了され、ふた月ほどもこの国でブラブラゴロゴロと過ごした。


  そんなネパールの旅でのクライマックスは、ヒマラヤトレッキングだった。ポカラを基点とするアンナプルナ周回トレッキングコースは、全行程約250キロメートル。途中に標高5400メートルの難所トロン峠を含むそのコースを、ツーリストたちは地図を片手に約3週間かけて完歩するという。

  その時僕は、ポカラのホテル「ホーリーロッジ」で、沈没ぎみの無為な時間を過ごしていた。
  そこにはヴィシュヌという浅黒い肌と優しい瞳を持つ混血青年がスタッフとしていた。流暢な英語と機転の効いたおせっかいで、巧みに僕にビールをオーダーさせるヴィシュヌだが、あくまで親切極まりない。そんな彼がある日、庭の芝生のボンボンベッドでうなだれる僕の前に立ちはだかり、こう言った。
  「いつもゴロゴロしてんだね。それじゃ。つまんないだろ」
  ほっとけ。これが俺の旅のスタイルじゃ。と、一瞥する。
  「トレッキングでも行って来たらどうだ。アンナプルナサーキットは、この惑星上で最も美しく、そして聖なる力に覆われたトレッキングコースなんだぜ。体験するのは悪くない。ぜんぜん悪くない」
  へえっと僕は顔をあげる。この惑星上で?


  「そう。この惑星上で最もすごいところだ」


  そんなわけで数日後、僕は、白人たちの小さなコロニアル、ホコリと雑踏のポカラ・レイクサイドを後にすると、雪山が空に突き刺さるアンナプルナ周回トレッキングコースを歩き出した。
  トレッキングの日々を言葉で表すと、それはひどく単調だ。朝起きたら飯を食って、歩いて、また飯を食って、歩いて、宿についたら飯を食って寝る。それだけ。でも、その一見単調な一日に感じる事と景色の変化は、あまりにも複雑で多様だ。
  雄大な山の斜面にへばりつくように軒を連ねる夢で見たような村々。午後の雨に濡れる石畳。荷物を積んだポニーの隊列とすれ違う渓谷の吊り橋。一面大麻草が生える河原。一週間前に雪崩で人が死んだという場所。低い雲。そして、一日歩き終わって、ぬるいビールに感動している自分。


  ポカラを出て4日目。切り立った千尋の谷を見下ろしながらたどり着いた山間の村チャミイ。小さなすすけた山小屋風ホテルで、冷水シャワーに震えながら汗を洗い、その後にありつくダルバートの夕食は最高だ。ダルバートというのは、豆と野菜を煮込んだネパール風のカレーライスで、肉気のない粗末な食事なのだけれど、どこのメニューにもあって、しかもお代わりし放題。一日歩き疲れた身体に、それはとんでもないご馳走だ。そんなわけで当然のように夕食は決まってダルバートになる。その日も僕は、ドイツ人なんかがぽつりぽつりと腰掛けるホテルの食堂で、ダルバートとぬるいビールに生きる喜びを噛みしめていた。
  ああ。どうして肉抜きカレーライスとぬるいビールがこんなに美味しいんだろ。歓喜のうめきを上げながら、目を細めて溜息をつくと、横に誰かいる。
  「美味しいかい?」
  浅黒い笑顔は、ホテルのスタッフのおばちゃんだ。彫りの深い顔立ち。混血だろうか。そして、とかされていない自然の乱れ髪が、タンクトップの素肌の肩にかかる。寒くないのだろうか。見ると、腋毛が少しのぞいている。
  「ネパールのビールとダルバートは最高に美味しい」
  僕は、片言の英語で、そう返したけれど、おばちゃんは不可解なことを言った。
  「ちがう。それは、あなたが、美味しい」
  僕は、きょとんとした顔をしておばちゃんを見つめる。意味がよく分からない。おばちゃんはもう一度、砕けた英語で言った。


  「あなた、今日、いっぱい歩いた。だから、あなたが『美味しい』を持っている」


  僕は夕食後、ロウソク一つが灯る寒い部屋で毛布に包まって沈考していた。おばちゃんの言葉によって、普段見えなかった色んなものが見えてくるようだった。つまり、「美味しさ」というのは食べ物が持っているものではないと彼女は言った。「美味しさ」というのは、自分の心の中にあるものなんだと。「美味しさ」というのは、食べる物によって決まるのではなくって、自分によって決まるんだと。
  そこまで考えて、僕はなんだかとても重要な事に気づいた気がした。
  たとえば「嫌い」という感情はどうなんだろう。僕たちは他人を嫌うことがある。でも、「嫌い」というのは、嫌われた人が持っているものじゃない。だって、その人のことを愛している人もきっといるのだから。そう思うと、「嫌い」というのは、けっきょく自分の中にあって、本来自分が持っていることなんだと。つまり、「嫌い」なのは自分なんだと。
  そう思うと、諸々の感情は自分自身が作り上げている幻想のようなものなのかもしれない。だって、もしウンコを踏んだって、絶望的な不幸に感じるときもあれば、考え様によっては「運がつくぜラッキー」と思える事もあるのだから。


  僕はアンナプルナの聖なる麓で、僕を取り巻く森羅万象が素敵なものに変化していくような予感を受けた。明日から「素敵」を持って歩こう。


  ポカラを出て一週間がたった。標高は3000メートルを超え、景色は「雄大」から「荒涼」へと変化した。山を覆っていた緑の草木はいつの間にか、岩石と砂利、そして雪に姿を変えた。キタロウの音楽がどこかから聞こえてきそうな雰囲気。もちろんゲゲゲの鬼太郎じゃなくって、シルクロード風のアレ。


  目指すトロン峠は目前だ。


  心は幻想の中を泳ぐよう。だけど、足並みに活気はない。もうかなり空気が薄いのだ。なだらかな登り坂で、快活にテンポよく歩いてみると、たちまち心臓はバクバクと高鳴り、荒い吐息が喉をさす。昼食休憩の為の山小屋で出会ったイギリス人のおじさんは、僕のここまでのペース聞いて、驚きの声を上げた。
  「若いの。少しペースが速すぎるんじゃないのかねえ。知ってのとおり、ここいらはかなりの高所じゃ。気をつけてゆっくり登らねば、高山病にやられてしまうぞ」
  じいさんじゃないから大丈夫だよ。とは、口に出さず、オーケー分かった、と言った。でも、心はなぜか先を急いでいた。高山病なんて僕には関係ない。あんなのは老人と体の弱い人がなるものさ。
  しかし、翌日にトロン峠を控えた麓ベースキャンプ4400メートルの山小屋で、賽の河原を思わせる石ころだらけの風景を窓から眺めていた僕は、頭の奥に鈍い痛みが走るのを感じた。
  まさかと思ったが、やっぱり頭痛だ。


  高山病の症状だ。


  混乱と失望が僕を襲う。どうすりゃいいんだ。明日は難所越えだというのに。
  そんな時、山小屋の片隅で絶望に沈む僕に救いの手を差し伸べてくれたのは、ネパール人の山小屋スタッフだった。
  浅黒い肌。彼もまた混血だった。
  そもそもネパールの中でもヒマラヤ山岳地帯には、インド系ネパール人は極端に少ない。山岳地帯のほとんどはチベット系モンゴロイドの生息域になるのだけれど、ツーリストが渡り歩く山小屋やホテルには、なぜか混血のスタッフがいて、彼らは彼ら独自の感性によって、僕たちを崇高で魅力的な方向へと導いてくれるようなのだ。


  高山病に狼狽する僕に助言を与えてくれたのは、凛々しい顔つきをしたジヴァンという混血の青年だった。ウエーブのかかった長髪をなびかせて、ヨーロッパ人たちにお茶や食事を給仕しながら、高山病の鬱にモウロウとする僕に、いろんな事を教えてくれた。


  「あんた、少しでも頭が痛いんだったら、明日はトロン峠越えに出発するんじゃない。高山病を舐めたら怖いよ。頭痛を我慢して登りつづけて命を落とした日本人のおじさんがいたそうだ。元気な人だったらしいけどね。高山病は、若いからとか、ふだん健康だからとか、体力があるからとか関係ないんだ。誰にでも同じ度合いで襲って来るんだ。神の愛に格差がないようにね。とにかく、明日は登るのをあきらめて、ここで一日待機するんだ。そして水分をたくさん取るんだ。酒は飲むなよ。タバコもガンジャもダメだ。生のニンニクをやるから、それをキャンディーみたいにしゃぶってろ。そうすりゃ、明後日には、身体が順応するだろう」


  僕は次の一日、鈍い頭痛に耐えながら、ジヴァンの言いつけを守って、標高4400メートルの瓦礫の谷間で亡霊のように過ごした。山小屋のまわりを軽く散歩すると、薄い空気がたちまち僕の意識を別の次元へと誘う。そんな中で僕の思考は制御を失って、空中のキャンバスにいろんな絵を描いた。


  ネパール。混血。雑種・・・・・・。犬や猫って、雑種の方が賢くって丈夫だと聞く。人間も混血の方がやっぱり優れてるのかなあ。だから、ブラジルはサッカーが強いのかあ。そうだなあ。普通、スポーツの強い国っていうのは、経済的に強い国のはずなのに。ブラジルの経済はメチャメチャだ。それでもあんなにサッカーが強いっていうのは、やっぱり混血が優れているって証拠だ。混血・・・・・・。ネパール・・・・・・。じゃあ、ネパールも優れているのか。ネパールの優れている事って何だ?


  翌日、僕の頭痛は治まった。午前4時、気温は約マイナス15度。世界は暗闇。ライトを灯し、難所トロン峠を目指して斜面を踏み出す。たちまち呼吸は酸欠の金魚のよう。
  しばし立ち止まって空を見上げると、それは満天の星空どころではなかった。


  僕は「宇宙」の真っ只中にいた。


  星ってこんなにたくさんあったの? 天の川が明確に見える。でも、良く考えるとそれは銀河系の断面なのだ。そう思った瞬間、僕は軽いトリップを起こした。ああ。今、僕の宇宙の中での座標が手に取るように分かる。あのずば抜けて明るい銀河の中心があの位置に見えるということは


  ・・・・・・今僕は「ここ」にいる!


  不思議な感覚にとらわれながら、重病人のようなテンポで交合に足を出す。自分の身体じゃないみたい。
  東の山際が薄紅色に焼けだして、恒星の光が星たちを追い払う。まもなく、少しオレンジを垂らしたような赤い太陽が液体のように輝いて顔を出す。僕の不思議な感覚は、さらに研ぎ澄まされたようになる。そして山のあいだにゆらめき光るあの大きな物体が、実は信じられないぐらい遠くにあることに驚愕する。


  太陽!すごく遠くにあるのにあんなに大きく見える。しかもそれが八分前の姿だなんて。


  太陽がすっかり昇ると、あたりが一面雪景色になっていることに気づく。わずかに踏みしめられた尾根沿いの細いルートは踏み外せばそのまま冥府まで落下しそうな綱渡りだ。顔面がしばれる痛さに泣きが入る。行く先を見上げれば、ヨーロッパ人ツーリストたちの影がアリのように点々と空まで続く。さらにその空の色に驚く僕。太陽は昇って、星は消えていても、その色はいまだに宇宙のように濃い。それは空色ではなく、深い海のようにも見える。ここは色の認識という根源的な感覚すら狂わせてしまう場所だ。低温と低酸素、そして疲労。さらにわずかな座標のズレが死を意味する世界を歩きつづけるうち、僕は、変な事を思った。
  ここは人間が侵してはいけないところなのじゃないかと。


  つまり、ここいらは、神の領域なのだと。


  白銀の山と濃い宇宙色の空に挟まれた僕は、いつしか軽いトランス状態に入って、思考の花園の中を泳ぎはじめていた。


  ヒマラヤ。高い山。聖なる山。不思議な力・・・・・・。インドとチベット・・・・・・。ヒマラヤのまわりには聖地がいっぱいある。ダライラマは偉大だ。それにインドは天才が多いという。ひょっとして高い山の強大な重力は、宇宙線や僕らの知らない未知の力の影響を一定の地域に集中させ、それによって神聖な信仰心や偉大な頭脳を作り出すのだろうか・・・。
  まさか。
  でも、やっぱり、ここが普通の場所でない事だけは、一目瞭然だ。


  すぐ前を行くヨーロッパ人のおばちゃんが、発作のように異常な早さの呼吸をつまらせ立ち止まる。連れらしきおじさんがおばちゃんの荷物を持つと、二人は再びスローモーションのように雪の斜面を動き出す。
  歩く。登る。止まる。深呼吸。歩く。登る。止まる。深呼吸。
  やがて、僕の目前には 雲ひとつない濃い濃い宇宙色の空 が最高に広がり、その下に戯れるいくつもの人影が現れる。記念撮影をする人の歓喜の声が聞こえた。


  峠だ。ついにトロン峠に到着した!


  今、僕は神と人間の領域の限界点で、自分の生きて歩いた証を噛みしめる。標高5400メートルでのひと時。
  僕の中から「素敵」が、にじみ出していた。

  トロン峠を越えた後、ポカラまでの約十日間は、ほとんどが下り坂で、途中温泉に入れる村もあって、難所越えの労をねぎらうかのように日々は充実して過ぎていった。
  ポカラに戻ると、「ホーリーロッジ」のヴィシュヌが混血のエキゾティックな瞳を穏やかに微笑ませ、僕を迎えてくれた。その笑顔は、なぜか僕の心に深く突き刺さり、あるものの印象と不思議に重なって、僕を新たな思考の渦に巻き込むようだった。


  なんだか、ヴィシュヌの顔が仏様のように見えた


  たしか仏様の出身地もネパールだったよなあ。
  ネパール・・・。ヒマラヤ。聖地。天才出現。混血・・・。優秀・・・。仏様・・・。
  んん? 仏様って、ひょっとして混血だったのか? わかんない。分かることは一つだけ。
  ネパールって、やっぱり不思議で、そして「素敵」だということ。