やっぱり鉄って味があると思わへん?
<フレーム素材に見る人種分類考>

 

鉄フレームのオートバイの乗り心地とは
 タクリーノにはいろんな人種が来る。自転車好きはもちろん、ミュージシャンや占い師の他、スーパー玉出勤務の超酔っ払いのオッサンまで。
 このあいだはオートバイの好きな人が来た。僕はオートバイの話はぜんぜんわからなかったのだけど、その彼がひとつだけ面白い話をしてくれたのを憶えている。
 「アルミフレームのオートバイは乗り心地が悪いから嫌い。鉄のフレームは好き。乗ってると楽しくなるようなバイブレーションを感じる」
 はああ。それってオートバイの話なのに、自転車とまったく同じやん。聞けば聞くほど、鉄とアルミのインプレッションに関しての共通性を感じ、かくして僕たち自転車乗りとオートバイ乗りは未開の地で共通言語を見出したように意気投合した夜を過ごしたのだった。
 考えてみれば、鉄とアルミの対比って何やら意味深遠で面白いことが多い。というわけで、今回は鉄とアルミについていろいろと考えた。

 

鉄は宇宙からやって来た?
 鉄器が人類によってはじめて作られたのは紀元前5000年の古代エジプトで、当時、鉄は隕石のように空から降ってくる隕鉄から精製されたという。だから、古代エジプト人たちは鉄という物質は宇宙からの贈り物であると信じていたそうな。
話はちょっと違うかもしれないけれど、キノコと昆虫は地球が原産地でなく、その種は宇宙からやってきたという説があるのを思い出す。
 いずれにしても空からやってきたと信じられていた物質が実はヘモグロビンとして人間の体内にも存在していたという事実が、何やら僕らと宇宙を繋ぐ普遍性を示していることが興味深いし、鉄が体内に存在するような物質であるからこそ、人間のペダリングリズムにマッチしたしなやかなバイブレーションを生み出してくれるのかなあとも思う。

エントロピーの少ない物質「鉄」
 体内の金属の鉄であるヘモグロビンをアルミに置き換えて考えると、こちらはアルツハイマー病の脳ミソから大量に検出されることから老人ボケの原因であるのと説もあるぐらいだから、あまり良い物質ではないのかなとも思わせる。ただボケてる本人は恍惚に身をゆだねているわけだから、何やら気持ちよさそうで、一概に悪いとも決め付けられないのだけれど。
さらにアルミの加工溶接に必要とされる電気量は、鉄の8倍という事実を考えると、アルミは鉄より8倍も公害を出すので、地球環境保護の面を考えても、鉄はアルミを凌駕するのである。
 というわけで鉄は、ライディングの優しさ、地球環境保護、そして老人ボケ対策といろんな面で素晴らしい材質であるのが良くわかる。万歳クロモリ!万歳スティール!

 

でもアルミは軽くて速いのだ
 しかしである。そんな素晴らしいはずの鉄のフレームは最近めっきりと少なくなって、公害鼻毛ゴジラで恍惚ボケ老人大魔王のアルミニウムのフレームがカーボンと並んで現代レースシーンを席巻している。なぜだなぜだ。いかにいかに。
 理由は簡単。鉄より剛性があって軽いフレームが作れるから。
世の中は競争社会なのである。強い奴、良い成績を出す奴、数値的なパフォーマンスが高い奴が偉いとされるのだ。たとえ乗り心地が悪くたって、地球が公害で滅んでしまったって、アルツハイマーになったって、レースで勝つことの方が重要なのである。
 実際、アルミのフレームは、軽量でレスポンスがよく、乗り味さえ考えなければ、コストからは最高のパフォーマンスがえられると思う。

 

「アルミ人間」と「鉄人間」
 アルミと鉄を人間になぞらえてみると、勉強も仕事もスポーツも良く出来て良い奴だけどなんとなく面白味に欠ける奴が「アルミ」で、変態ダメダメ人間で何やらしても失敗ばっかりするんだけど「味」があってひきつけられる奴が「鉄」だと思う。
 僕の友人の今中大介は、学生貧乏時代にマヨネーズご飯を常食としていたくせに、それを否定するところがなんとも言えずアルミっぽいと思うし、僕自身が変態ダメダメだからやっぱり鉄好きなんでしょうか。
 まあ人間もフレームも適材適所に使い分けが必要ってことですか。
 おあとがよろしいようで。