「ラプラスの魔」から考える、レース展開を理論的に予知できる方法とは!?

 

ロードレースはサイコロ勝負?
自転車のレースは、たとえ走るのが速くても勝てるとは限らない厄介なもんで、「レース展開に左右される」というバクチ性がある。僕のレース経験の中でも運によって勝敗の行方がまるでサイコロの目のように、この宇宙の偶然性によって決定されたことは少なくない。思えば、僕たちは偶然に人間として生まれ、偶然に自転車競技と出会い、偶然にサマージャンボで300円に当選し、時に偶然にレースで勝利する。
そんなわけで、もし偶然や運という、あやふやでオカルトなものを支配できれば、レースで決まる逃げを見逃さず、ゴール勝負でカベンディシュのように位置取りを確実なものにできるのじゃないかなあ。なんてアホなことを考えてみた。

 

百円玉がオモテだったのは偶然じゃない?!
ところで偶然ってなんだろう? 例えばここに百円玉があって空中に放り投げるとする。それを手の甲と掌でペタン!と受けて「さあウラかオモテか」開けてみると「オモテでした」と。では、どうしてオモテだったのだろう。普通の人はそれを「偶然オモテになった」と言うだろう。でもよく考えてみればそれは偶然ではない。百円玉を空中に放り投げた角度と高さと速度。受ける手の位置。気温。湿度。気圧。僅かな風の流れ。地軸の回転による重力の変化。そんなすべての要因が合わさって「オモテ」という結果が生み出されたのだ。でも僕たちはそのすべての数値やタイミングを説明することが出来ない。だから「偶然」なんて言葉を使って誤魔化しているだけなのだ。もっと言えばこの世に「偶然」なんて存在しないのかもしれない。レースの優勝が決まるアタックにもそこには必然の理由があるはずだ。

 

理論によって予言できる未来
19世紀の数学者ラプラスが「ラプラスの魔」という理論によって述べている。
「もしもある瞬間におけるすべての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)すべて見えているであろう」と。つまり神様みたいな全知全能の解析力があれば、理論によって未来は予言できるというのだ。
考えてみればそうだわな。タクリーノのお客でも何を注文するかという予知はある程度できる。常連の竹中さんは気温が15~22度までなら麦焼酎水割りを頼む確率は95%ということを神様じゃなくても僕は知っているし、データと理論を駆使すれば、エビみたいな形の宇宙人が来店しない限り、そのお客の注文しそうな飲み物の推測は全知全能の解析力がなくっても理論的に可能だ。

 

「偶然と運」を支配するのは「データと理論」なのだ
つまり、勝機をつかむためレースの逃げを予知するのも、ゴール勝負の番手を選択するのも偶然や運ではなく、あくまでデータと理論なのだ。彼女が見ているホームストレッチだからアタックするのではなく、そのタイミングを決定するのは参加選手のデータの集積と吟味なのだ。「こいつは舞洲クリテE2で4位。スプリンター系。29歳。実家は豆腐屋。月に一回飛田料理組合で料理を食べる。SMクラブにも興味を持っている」とか「こいつはシマノスズカ国際ロード完走。逃げ系。34歳。妹は檀密に似ている。おばあちゃんはダライ・ラマの愛人だという噂がある」とか。データがなくてもレース経験と理論的に考える明晰さがあれば「ジルベールに脚の形とペダリングが似てるから要注意」とか「安田団長みたいな顔してるからマーク不要」とかの分析も可能だ。緻密に考えれば勝利の展開を予知できて、「偶然と運」を支配できる!?
ええ? レースを始めたばかりでデータも経験もない? しかも落ちこぼれで明晰さもからっきし? うーん。そんな君にアドバイスをしよう。
ユングが言うところの「集合的無意識」というのがある。これは万人の意識はすべてが繋がっているとする説である。もしこの集合的無意識にアクセスすることが出来たなら、他人の意識データをインターネットのように簡単に見れるはずだ。
では、どうすればそれにアクセスできるかって? タクリーノには秘密のカクテルがあるよ。毎晩みなさん極楽にアクセスしているので、そいつを飲めば何とかなるかも?!