むかつくインドで人間ができた?〈19〉

  前回述べたように北インドあたりは人間の内面が日本人とかなり違うようで、彼らの特別なメンタリティーの洗礼により、長い旅行の中でイタイケな僕としては腹立つ不快なことが多かった。道を歩いていても、観光地では5分に一回ぐらいはインド人が話し掛けてくるのではあるまいか。
  「ガンジャはいらんか?」「女を世話してやろうか?」とまあ、これぐらいはマトモな方である。なかには「おまえはインドは初めてか?」とか「おまえは結婚しているか?」とか「おまえは何歳だ?」とか「おまえのサラリーはいくらか?」なんて非常にプライベートな事を質問してくるやつがいる。大した事ではないように思うかもしれないが、カルカッタあたりの道端でいきなり目の前に現れたぜんぜん知らん奴がこんなことを質問してくるのである。自己紹介もなしに登場していきなりのことである。しかも5分に一回ぐらいそんな事がおこるのだ。
  初めのうちは「ああ。私は独身で35歳で給料は・・・」なんて正直に答えていたのだけれど、そのうち腹が立ってきた。だいたい、なんで出会って5秒しかたってないやつに自分の給料の額を教えなあかんねん。おまえいったい誰やねん! というわけである。
  彼らとすれば日本人は金持ちだとわかっているので、何とか情報を引き出して自分ができる範囲内で金を吐き出させることが出来ないか考えているらしいが、そういう根性がまた腹立つのである。
  そんなわけだから人に道など尋ねたりしたらこれまた大変である。
  「あの。駅はどっちの方ですか?」とある時あるインド人に尋ねた、すると

  「おまえは今いくらお金を持っている?」とおっしゃる。

  ??????。僕が聞いたのは「駅はどこか?」ということなのに答えが全然別の話題の質問形になって返ってくる。
  「おまえはいくら金を持っている?」やて。いったいアンタの頭の中身どうなっとんねん。こういう質問に関しても初めの頃は「ああ。はい。500ドルほどですが」なんてバカ正直に答えていた。すると相手は「おまえは女が抱きたいか?」とまた質問である。まったく会話になっていない。僕は少しむっとして「あのね。僕は駅がどこか聞いてるんだけど」と言う。すると相手は「いいホテルがあるから案内してやる」と言う。ますます会話になっていない。僕はついに切れてしまって、大阪弁まじりの英語で「おまえはボケか。俺は駅がどこか聞いとんねん。質問に答えんかい! いったい駅はどこやねん?!」と怒り狂う。
  すると「どうしてそんなに怒る。おまえはナイスな日本人ではない」とかぬかす。いま俺がナイスかどうかの話をしているんじゃなくて、駅の話やねん!
  というわけで僕はプリプリに怒って、道端のゴミ山を蹴り上げ歩き出すのだけど、頭に血が昇っているので誤って牛のウンコなど踏んでしまい、ますます怒り狂うこととなる。
  そうした困難を幾度も経験しながらやっとこさ少しマトモな方から駅の場所を聞き出し、そこに向かう。でも、行けども行けども駅は現れず、むしろ風景は町からどんどん外れていくのである。そうしてついに最後に最もマトモなインド人に出会い、再び駅の場所を確認すると、自分がまったく反対方向へ歩いていたことを知らされるのである。そうして僕の怒りは頂点めがけて登りつめ、呆然とした別の感情へと昇華していくのだった。
  それ以外でも僕はインドで常に腹を立てていた。リキシャやタクシーに乗るにしても彼らは常に暴利を貪ろうとするし、喋ることのすべてが嘘に塗り固められていたからだ。そうして僕は一日に何回もゴミ山を蹴り上げ、牛のウンコを踏んだ。
  そうなるといつも怒っているものだからとても疲れてきた。もうクタクタである。

  その結果、怒るエネルギーのすべてをインドの大地に吸い取られた。そして疲れきった僕はインド人とまともに話すことはやめて、適当に受け流すようになったのだった。

  ボッタクられたって日本円で言えば何十円の話しだし、まあいいっか。へらへらへらへら。
  「おまえはインドは何回目だ?」
  「5741回目」
  「おまえのサラリーはいくらだ?」
  「カレー三杯」
  「おまえは女が抱きたいか?」
  「おまえとヤリたい」
  「おまえは結婚しているか?」
  「11人の男と一緒に住んでホモセックスをやりまくっている」てな具合で喋っていると、さすがのインド人もクリクリと目を回して去っていくのだ。
  そんな経験を経て帰国したとある日、ある友人に言われた。

  「おまえ人間が出来たなあ」

  以前の僕は癇癪持ちで思い通りに行かないことがあるとカンカンに怒りをあらわにしたもんだった。でも、インドで怒ることにすっかり疲れてしまった僕は「ああ。もう。どうでもええやん」的に物を考えることが多くなり、友人がそんな僕を「人間が出来た」なんて言うのが、妙におかしかった。もちろん今でもしょうもないことで怒ることはあるし、人間が出来たなんてことは全然ないけど、あの時あれだけ不快だった北インドになぜかやたらと懐かしく感じる最近である。それは年を取ったせいかなあ。