「アタックすると損をする。でもアタックしなきゃ勝てない」損失回避性の自転車経済学とは。

 

「損失回避性」を超越したところにプロ選手の輝きがあるのだ。
春はエキサイティングだ。人間にも発情期があるというけれど、どうやら春はそうらしい。美人の人口が主観的に増加すると言う不思議な現象の報告もされるぐらいだしね。でも春のエキサイティングはそれだけじゃない。僕ら自転車好きにとってヨーロッパのクラッシクレースが目白押しに生放映されるのも春のたまらん魅力だ。
そんなわけで、さっそくミラノ-サンレモをテレビ観戦した。いつも不思議に思うのは「沿道のイタリアねーちゃんがキラキラきれいなのは発情期のせいか?」ということでは決してない。マジメにマジメに「どうして一流プロ選手たちは勝負どころで風を受けるリスクを回避しないのか?」と思うのだ。もちろん集団で力を温存している時は別としても、いったんアタック合戦が始まると「スリップストリームで脚を貯める」なんて意識はどこへやら。後ろを振り向いて後続と僅かな差でも生じようものなら渾身の力で踏みつづけ、リスクをそのまま請け負って、それを勝利に変えようとする。まあ。そんな「肉を切らせて骨を絶つ」みたいなところが感動するんだけど、僕らレベルだったらライバルが追いついてきたら、「やれやれ。無理しないで後について休憩タイムや。このままゴールまで休憩したろか」てなもんだわなあ。
さて。心理学の世界では「損失回避性」というのが人間の行動を大きく制御しているという。普通の人間は「得をすることよりも、損をしないことを選ぶ」らしい。そうだとすれば、プロ選手の心理学を無視した勇猛果敢なアタックって一体なんなの? アタックしても、ムダ脚だったら1位のつもりが100位になっちゃうかも。損したくなけりゃアタックしなきゃいいのに。
しかし、一方で経済学の分野では、「損失回避」や「リスク回避」が強いと投資の増額の妨げになり、逆にそれが利益の損失を生み出すと言うパラドックスも囁かれている。まあ簡単な言い方だけど、「損したくなけりゃ賭けをするな。でも賭けをしないと儲からない」ってことか。つまり、プロの自転車選手たちは心理学を超越した、経済学的観点でレースを組み立てているのだ。

 

DNAを乗り越えてリスクに挑もう日本選手よ!
ところで「日本人バイカル湖畔起源説」というのがある。現在の日本人の祖先はシベリアあたりの極寒地を起源としているという説だ。つまり、日本人の体型や性格までもがシベリアの過酷な気候に適応した、寒冷地仕様なのだ。そんなわけで、日本人の体型は、手足が短く、鼻ペチャで、体脂肪も多い。これは表面積を少なくして熱の発散を防ぐためだ。性格的にも日本人は寒冷地仕様だ。ある学者によると日本人には「臆病のDNA」があると言う。つまり、超低温で猛吹雪の中、もし食料が枯渇した場合、家族のために洞窟から外に出て「俺が食料を探してやるぜ!」と言った勇敢な個体は死んでしまい、臆病な個体だけが生き残ったということなのだ。だから日本人は欧米人に比べて消極的で控えめなのだ。
考えてみれば、そうした日本人のリスク回避性の強さこそが緻密で繊細な文化を生み出していると言えるし、一方で自転車レースのような鉄火場での果敢さに欠けるところなのかもしれない。ひょっとして、それが現在の日本自転車競技のレベルを表しているのかも?!
とは言え、最近の国内レースは、僕らの若い頃から比べたらメチャメチャ積極的な勇敢さにあふれている。外人選手の参入やテレビで本場のレースを見聞できることもその理由だろうけど、いずれにしてもDNAを乗り越えた精神の躍動がそこにはある。
すでに引退した選手だけど、会沢(旧姓:福島)コージなんて「損失回避性」を完全に無視した奴もいた。彼の現役時代の走りときたら、何のリスクも考えず(というか何も考えず)果敢なアタックを放ちまくる。彼のDNAに臆病のカケラは存在しない。それは「日本人バイカル湖畔起源説」を超越した勇敢さの証明でもある。日本人もいつか自転車世界の頂点に立てる予感を感じさせる!
先日訪れた、そんなコージが主宰する「ベルナール・グランパ自転車学校」なる不思議空間はそれ自体が損失回避性から逸脱した存在だ。ちゃんとやっていけるのか心配だなあ。ええ?「バー・タクリーノも同じだろ」ってか。ああ確かに・・・今月の支払いどないしよか(汗)・・・。


ええい。「肉を切らせて骨を絶つ」や。経済学的観点からレースをするよう、勇猛果敢に経営的アタックをしよう! ただ切らせる肉がもうないかもなあ。