バングラディシュで食べた印象深い料理の話〈42〉

  タイやインドを旅行した人はとても多いと思う。でもバングラディシュとなると行った人はけっこう少ないのじゃないのかなあ。では今回は、僕が訪れた国の中でも一番の「稀少訪問国」といえるバングラディシュの話を書こう。
  バングラディシュの場所はご存知だろうか。インドの東にあるのだけど、ベンガル湾以外の西北東をインド領に囲まれて、地図で見ると「大きなインド親分に肩を組まれている小さな子分」みたいに見える。人口は、日本の半分にも満たない国土に1億5千万人も暮らしている。ダッカの町は人の渦だ。
  バングラディシュには観光地がほとんどないので当然観光客も非常に少ない。だから僕など東洋系の人間が町をうろつけば、やたらと注目の的になる。信号待ちでぼんやり突っ立っているとなにやら視線を感じる。振り向くと老若男女数十人全員が僕を奇異の眼で見つめているのである。不思議な感じ。そしてけっこう気持ち悪い。
  そんなバングラディシュ人は、僕らからすると見た目はインド人と見分けがつかない。でもインド人と一番大きな違いは、彼らのほとんどがイスラム教徒であるということだ。そんなわけだからバングラではインドでタブーである「ビーフカレー」が食べられる。「牛肉は熟成させた腐りかけが美味い」ということか、はたまた自分がインドで牛肉に飢えていただけか、よくわからんがとにかく、薄汚いボロ小屋のような食堂で深い味わいのビーフカレーを食べるのは、観光地を見学するよりずっと面白い一場面だったと思う。

  そんなバングラディシュで、僕は2年半の放浪旅行の中で最も美味いんじゃないかという料理を口にした。

  ダッカに滞在していた時のこと、ビーフカレーに少し飽きた僕は汚い食堂で隣のおっさんがなにげに食べている料理に注目した。
  それは薄く焼いたチャパティを黄緑色の汁に付けて食すという、すごくシンプルなものだった。注文して食べてみると

  めちゃめちゃ美味しいやんけ! これいったいなんやねん?!

  チャパティって知ってますか? 小麦粉を練って餃子の皮より少し大きいぐらいに薄く延ばしたやつ。これを鉄板で表面を少し焦げるぐらいに焼いてある。それだけ食べても香ばしさと、けっこうな歯ごたえ、表面のコゲがサクっとして、それは最高においしい。インドでもチャパティをいろいろ食べたけど、どうしてだろう、その店のチャパティは他とは少し違った。焼いてからテーブルに運ばれる時間が短いのだろうか。熱々のホクホクでたまらんうまさやった。
  ところがそれだけじゃない。黄緑色の汁。これがヤバイ! 聞くとそれは「豆を煮込んだトロトロのスープ」であるらしかった。それにライムをギュギュッと絞り、先のチャパティにたっぷりと付けて食べるのだ。

  あああ。あれほど美味の感動に包まれたことがこの人生で幾度あったろうか!

     煮込んで濃厚となった豆のエキスはどうしてだかほのかなフォアグラを連想させた。そして微妙なチョコレートのような香り。それらの折なしが、鼻腔の裏に沸き上げながら新鮮な植物としての豆特有の優しさで見事なまでの調和をみせている。そこに絞るライムもまた日本のものとは少し違う。酸味が少なく豆スープの調和を乱すことなく、柔らかい旨みにあふれている。まるで乾いた空気のもとでシャワーを浴びた後シルクとベルベットにくるまれ身をよじらせるような至福が味覚として存在しているようなものだ。さあ。そこにチャパティを漬けよう。たっぷりとたっぷりと悦楽の豆ライム混沌に浸すのだ。指先までも汁に浸しながら欠食児童のように僕はむしゃぶりつく。ああああああ。おいちいい~。溜息をつくと鼻の奥までこの世の美食のすべてを包括したような香が広がる。ぶわ~。たまらん・・・。
  快楽に酔いしれた僕は、我を忘れて貪り食った。皿の上に五枚ほどのっていたチャパティーはあっという間になくなり、気がつくとオカワリをした三皿目を平らげていた。
  一息ついた僕を見て店員の兄ちゃんはベンガル語で「どうや。美味かったやろ」みたいなことを言った。僕は最高の賞賛を体であらわしながら「こんな美味いもん食ったことないでえ」てなかんじでお礼を述べた。
  感激も少し落ち着いて「お勘定してちょうだい。さあいこか」と我に帰ったときである。なにやら左裏モモからフクラハギにかけて激しい痒みが・・・。ひぇ~。南京虫や! イスにとりつく南京虫に膝の裏中心から広範囲にボコボコ食われてもうとるがな~。汚い食堂やからまあそんなこともありなん。そのあと三日ぐらい腫れと痒みに苦しんだ。とほほほほ。
  旅の最中で一番美味い物、そして南京虫の攻撃。良くも悪くも稀有な国バングラディシュの洗礼を受けた夜やったなぁ。

★過去の記事41-45
 黒人の国「ジャマイカ」に降り立って(その1)〈43〉
 ネパールから賄賂を払って国境を越えた話〈41〉