「チェーンオイルは何でも同じ」なんて言ったら自転車の進化が止まるよ。

 

ロケットも新幹線も人間の手作業から出来るのだ。
人間の感覚は、機械やコンピューターにも負けないほど精密でシビアだ。
僕は、サドルの高さが1mm違っただけで気持ち悪くて快適なライディングができないことがある。さらには、レーサーパンツやソックスの厚さが変わっただけでパフォーマンスの違いを感じるくらい。僕だけじゃない。そんなライダーは多いはず。
エディー・メルクスの名言「サドルの高さは毎日変わる」の意味は、日によって筋肉の張りが違えば感じるサドルの高さも違ってくる、と言うことだ。それぐらい人間の感覚は敏感なのだ。ちなみに、僕の明言は「嫁さんの機嫌は毎日変わる」だ。まあ。それくらい男心も敏感なのだ。
ところで、ロケットや新幹線の先端の微妙なカーブは機械では作れないらしい。宇宙船や超高速列車を創造するのは、「へら絞り」という人間の手作業によるスピニング加工で、現代科学を持ってしても、それは機械でマネが出来ないことだとか。
同じように、サーフボードにも「マシンシェイプ」という機械削りと、「ハンドシェイプ」という手作業での削り出し方法がある。「マシンシェイプ」は作業最初の荒削りだけに行なわれ、最後は「ハンドシェイプ」で仕上げをするそうな。もし100%「マシンシェイプ」で作ったボードと100%「ハンドシェイプ」を静水に浮かべて押すと、「ハンドシェイプ」はキレイに直進するのに、「マシンシェイプ」は曲がって進むという。
そんなわけで、人間の精密さに乾杯! オナニーもハンドシェイプが一番に違いない。

 

「キリンラガー」と「一番搾り」の差異が自転車の進化を語る。
自分ごとで恐縮なのだけど、タクリーノブランドのチェーンオイルの試作品をテストしていた時のこと。「極圧添加剤の分量を10%刻みで数種類」と試作を依頼すると、開発部から言われた「確かに極圧剤の分量を増やすと理論上クッション性が良くなるけど、それは微妙な差だから、自転車に乗って感じるほどなのか」と。ところがテストライドしてみると、この微妙な違いが確かに感じられたのだ。
わかりやすい例をあげれば、それは「キリンラガー」と「一番搾り」みたいなもんかもしれない。僕などそれをベロベロに酔っ払った時に飲んでも違いは分らない。でも、ちょっと味にうるさい人に飲ませれば、その小さな差は如実な個性として輝くし、そのウンチクはベロベロに酔った僕を啓蒙するパワーを持つのだ。
何が言いたいかというと、自転車部品やオイルや用品が持つ微妙な差異が、「小さな差だから、どうでもエエやん」と低く評価されることに僕は懸念を表明しているのだ。なぜなら、小さなアドバンテージが積み重ねられた結果に高性能化したのが、現代の最先端自転車なのだから。
機械もコンピューターも遥かに及ばない無類に鋭敏な感覚能力を身につけた人類が「チェーンオイルなんか何でも一緒やろ」なんて言ったら、アンタそら、天地創造のシステムに怒られまっせ。「小さな事からコツコツと」と西川きよし師匠も言っておられる。

 

細かな部分の機能アップが自転車遊びの骨頂なのだ。
行動経済学で「ヒューリスティック」というのは、「物事を直感的にザックリとらえる」という意味だ。多くの経済行動では、「だいたいこんな感じでイケル~」というテキトーな直感がその失敗の原因となっている。なんか思い当たるなあ。「自転車好きが集まる素敵なバー」とか言って、直感的にザックリと閉店した店があったっけ。あれ?!
さて。そんなヒューリスティックの根底を占める考え方が「単純化」だ。人間は思考の統制を図るために必要な情報さえも排除して、自らを納得させようとする。その結果、自転車屋さんもサイクリストも、見た目に華やかなフレームやホイールやコンポーネントに夢中になり、単純化を求めるあまりオイルやグリスやホイールバランスには気持ちが少ない(方もいる)。つまり、自転車の性能を統合的に完結できていないのだ。まあ分らなくもない。自転車の構成部位は選択肢が多すぎる。自転車を選んだら、次はウエア、次はシューズ、次はヘルメット、次はサイクリング用の紙オムツと、選び出したらきりがない。
それでも細かな部分の機能アップが自転車遊びの面白さだし、敏感で繊細な人間の感覚があるからこそ、いろいろ諸々の積み重ねで、自転車は進化したんじゃないの。
そんなわけでセラミックベアリングの軽やかな走行感によってパフォーマンスが上がるのを多くの人が体感しているのだから、「セラミックベアリングは金額ほどのメリットがない」なんて自転車の未来を見据えた人なら言うべきじゃないよなぁ。