三本脚の犬〈7〉

  いろんな国を旅したけれど、やっぱり一番好きなのはタイだ。今でも年に一回ぐらいは行きたいと思っている。それは、僕たちが高度成長の文明社会の中で置き忘れてしまったような大自然の素朴な驚きをあの国が思い出させてくれるからだと思う。
  今回書くのはそんなタイで体験した心に残るワンシーンだ。


  コ・パンガンという島がシャム湾の真中に浮かんでいる。そこでは月に一回、満月の夜に「フルムーンパーティー」という、大勢が朝までクレイジーに踊り狂うビーチパーティーが開かれる。満月の前になると島の人口は白人ヒッピー系若者によって急増し、ヤシの木が揺らめく常夏の浜辺はサイケデリックな雰囲気をかもしだしはじめる。パーティー本番のハードリン・ビーチは酒とドラッグに浮かれた民衆に埋め尽くされ、みんな自分が誰だかわからなくなるぐらいハッスルして踊りまくる。
  ところがパーティーが終わって数日もすると、ヒッピー系の若者たちは、どんどんと島から出て行って、その後、島はスッカリ素朴な面持ちを取り戻す。
  僕は、フルムーンパーティーから一週間もたった静かなコ・パンガンが大好きで、そのギャップを噛み締めながら、静寂を貪るようにボッケーっと数週間も空と海を眺めるだけの日々をおくっていた。


  そんなある日、初めての小さな食堂に入って、ビールと焼き飯を注文した。オープンエアーの店内には僕以外客がいなくて、海から吹いてくる潮風を頬に感じ、やっぱりここでも静寂を楽しんでいた。
  ナンプラーの効いた焼き飯に舌鼓を打っていると、僕の脚になにやら持たれかかってくる感触が。見ると、バサバサの毛並みをした年寄り犬だった。どうやらこの食堂の飼い犬らしく、食事中の僕におねだりをしているようでもあった。僕は大変腹が減っていたので、結局その犬には何もあげなくて、焼き飯を完食し、ビアシンの大瓶をゴキュゴキュと飲み干した。
  ふうっと。一息ついて、犬に目をやると、つぶらな瞳でそいつは僕を見た。薄汚いけれど、まあまあかわいい顔をしていたので、よしよしと頭をなでてやった。犬は「なんにも食いもんくれへんのかい」といった表情をしたのだけれど、僕の足元を動こうとはしなかった。
  その時初めて気づいたのだけど、その犬には左側の前足、つまり人間で言うところの左腕が真中あたりからなくて、後で見たら歩くときもコックリコックリと大きく頭を上下させてギャロップをするのだった。
  食堂のおっさんに「この犬、前足一本ないやんけ。どないしたん」と聞くと、「生まれた時から無い」と言った。ほんまかいな。と思いながら、僕は犬の前にウンコ座りをして、目線を同じ高さに据えると、頭や背中を撫でたりしながら、長い時間遊んでいた。
  その時、僕の中のちょっと意地悪な自分がムクムクと頭をもたげてきた。


  僕は、犬に「お手」を要求してみた。その犬がどういうリアクションをするか興味があったのだ。どっちの前足を出すのだろう?


  無い方の手、つまり左前足を出したとして、それが「お手」と言えるのだろうか? また、犬的にはそれをどう考えるのだろうか?
  もし有る方の手、つまり右前足を出すとしたらどうか? どうやって上体を支えるのだろう。もしかして「チンチン」みたいなかっこをして、「お手」をするのだろうか? はたしてそれを「お手」と呼んでよいのだろうか? また犬的にはそれをどう考えるのだろうか?
  とまあ、めくるめく思惑を持って、僕はその犬に「お手」を要求した。


  「お手!」


  僕が小さくシャウトすると、意外にもその犬は仰向けに仰け反り、ゴロニャン風に寝転んで白い腹を見せた。メスだとわかった。干しブドウのような乳首と赤黒い陰唇が見えたからだ。片方が途中から途切れた前足は可愛く折りたたまれ、胴体は軽い弧を描き、絶対服従を表現する無防備な姿に僕は軽い感動を起こした。
  大層年も取っているはずなのに、その姿は愛らしく幼げに写った。メチャ可愛くて、守ってあげたいと思った。人間で言うと結構なバアサンなはずなのに・・・。どういうことだ?


  つまり、僕が軽い感動を起こしたのは、それがハンディを背負った動物が生き抜いていくための「生存をかけた激しい姿」であると感じたからに違いなかった。


  その犬はやっぱり弱くて、他の犬の吠える声が聞こえたりすると、尻尾を巻いてビビって萎縮していた。そうした弱者が生き抜くためには、自分の弱さのすべてを曝け出すことが人間の庇護を受けるためにも必要なんだと。
  僕は、その時、生存の本能に裏打ちされた動物の激しい姿を見たような気がした。で、その夜はバンガローに帰っても、ずっとその犬のことを考えていた。


  そんなわけで次の夜、注文したツナサンドイッチを少しそいつにあげてみた。そいつはパンのかけらをくわえると昨日からは想像も出来ない素早い動きでギャロップしながら、どこかに消えて、その日はもう見ることができなかった。
  みなさんまったく真剣勝負で生きておられるんだなあと思った南洋の夜だった。