自転車に乗って感じるはずの未体験ぶっ飛び感覚とは
<頭を割って、いろいろ考えたのだ>

 

脳ミソ、少し崩れてます
 ちょっと前のことだけど、酔っ払って自転車でこけて、頭を割った。
 夜中に折りたたみ自転車でコンビニに行く途中(記憶にないのですが、フルスプリントしていたようです)、激しく転倒し、頭から落ちて気を失ったらしい。
 2日間の意識不明状態のあと集中治療室で目が覚めた。ドラマの一場面のように家族や嫁が僕のベッドを取り囲んでいた。でも僕としては、どうして自分がベッドの人になっているのかすら理解できていなかった。ホント、それぐらい事故の前後の記憶が消えていた。
 運び込まれた脳神経外科病院の医師の話によると、僕のダメージは尋常ではないらしく「頭蓋骨右ヒビ」「右脳挫傷」「左脳内出血」「右耳三半規管損傷」「右耳聴力低下」「右鎖骨骨折」とまあ、今こうして書いているだけでも再び脳内出血してしまいそうなほどの重傷だった。
 現在、退院して2週間が過ぎようとしているけれど、まだ少し感覚が変である。三半規管損傷のせいか、視界がぐるぐる回ったりするのだ。また脳自体の障害によって、時に風景がピカソの絵のように見え、キラキラと輝き、ぶよぶよと勝手に移動する。何か不思議であるのだ。さらに、右耳がぶっ壊れたせいか、キーンという耳鳴りとともに、自分の声が脳の奥で響くような奇怪なビブラートになったり、これまた変である。
 というわけで、酔っ払い自爆事故のつけは大きかったようで、「奇怪な視覚と聴覚のワンダーランド」へと僕を連れ去ったのだ。
 でもまあ、生きていただけでもよかったか。

 

脳ザショウはサイケデリックで面白い
 自分的には、頭を打って視覚や聴覚が狂ってしまったことに当初、大きな失望を抱いていたのだけれど、タクリーノのお客さんでぶっ飛び系の人にとっては、それがなんだか羨ましいらしく、「そんな面白いサイケデリックを合法でしかもタダで体験できるなんて、めちゃめちゃナイスやねえ」とか言われた。マジ危ないんとちゃうん?
 と言いながらも、確かに考えてみれば、むかし悪さをしていた頃に味わったトランスの世界にそれは似ているような気もする。そういう風に思えば、風景が以前と違ってブヨブヨキラキラするのは、面白くないこともない。聞こえる世界だって、それ自体を楽しもうと思えば、新たな世界へ導かれたような気になる。要は新しいことをエンジョイとして受け入れるアグレッシブな気持ちの問題なのかとも思った。
 そんなわけで、ちょっと危なげではありながら「新しい感覚が僕を取り囲んでいる!」っと思い、失望感から一転、面白未知体験をキャッチした僕の少し崩れた脳ミソだった。

 

自転車もセックスも非日常?
 考えてみれば、普段と違う感覚を楽しむと言うことは、ある意味遊びの基本のようでもある。
美味しい料理を食べる事だって、見知らぬ町に旅行する事だって、サーフィンだって、セックスだって、普段と違う非日常の中で感覚を刺激されて、脳内物質ドーパミンをブチュブチュ出すことがその喜びの結末なのである。  えっ! 「セックスは非日常じゃない」って?!
 ちなみに発明された頃の自転車だってそうである。今から200年も前にドイツで発明された自転車は、移動の手段として作り出されたわけでもないし、荷物を運ぶための道具として考え出されたわけでもない。自転車というのは、普段と違う視界の変化やホホを撫でる風の気持ちよさ、そして体が宙に浮き上がりながら流れていくような独特の走行感覚、つまり未知の新しい感覚を楽しむ為に考え出された、正真正銘「サイケデリック」体験を慈しむための乗り物なのだ。

 

自転車で感じる宇宙の座標
 なるほど。頭を打ってよい勉強になりました。
 そんなわけで、これから自転車を走らせる時は、少なからず感覚をぶっ飛び系にセットしてみようと思った。
 先に登場した、ぶっ飛び系タクリーノ客などは、リアディレイラーがカチカチと斜め上下に移動するのを見ているだけで脳波がフラフラ系にシフトしたり、回転するディスクホイールの模様をまのあたりにするだけで目まいを起こすとおっしゃられている。そんな人がいることを考えると、僕らが自転車好きと言いながら、ポタリング時の流れる風景や風の感覚ぐらいを自転車走行の基本的な魅力としているなんて、ケツの青さもホドホドにしろと言いたいところである。
 というわけで、春の風も気持ちよくなった今日この頃、もっと多くの新しい感覚を意識しながらサイクリングに挑んでみようかなと思った。
 僕が今、試してみたい新しい感覚は、「自転車で道行く自分が宇宙座標の中でどれほど複雑な軌跡を描いているか」と想像すること。もう一つは、「路面からサドルへと伝って股間に押し寄せる振動刺激をいかに地球の愛として感じることが出来るか」ってことである。これを脳挫傷と三半規管障害のサイケデリック体験に結び合わせれば、なんとも楽しい思いが出来そうである。
というわけで結論。
 新しい感覚を意識してスーパーハイにサイクリングを楽しもう! ただし夜中のコンビニに行く時のフルスプリントだけは、アメラグ装備で挑もう。


追記>2006年に自転車でこけて頭を割った後に書いたコラムです。ロードレースとか練習ではなく、夜中にママチャリでコンビニに行った折、選手魂が燃え上がって猛ダッシュした時にペダルから足を滑らしたみたいです。(記憶が定かじゃありません)ロードバイクじゃなくママチャリってところが間抜けであるなあと恥ずかしい出来事です。でも、あの時、打ち所が悪かったらあのまま死んでいたかもしれません。そう考えると、あの事故以来、生きていることの喜びを痛感する毎日が続いています。いろんなことに感謝して幸せを感じています。そういう僕を見て「割ってから、頭少し良くなったんと違うか」なんていってくれる人もいます。ありがたいことです。幸せとは作り出すものでなく、感じるものなのだと思いました。ちなみに「お前少し頭よくなったんちゃうか?!」なんて言う人もいました。